関屋俊幸さん(サンテレビ労組元委員長)がヘイト活動の広がりや、安全保障関連法の成立、歴史修正主義に危機感を覚え、さまざまな立場の人を交えて戦後の日本の総括を行った一冊。タイトルの「唯言」には「ただただ、言わせてもらいます」という思いと、死ぬ前の最後の言葉という意味の「遺言」が込められている。
巻頭では古代ローマ史の草分け的存在である、弓削達さんによるシンポジウムでの記念講演を掲載。日本の暴力的抑圧・搾取という植民地帝国の形式が、ローマ帝国による諸民族の支配と同様だったこと、非ローマ人に対する蔑視が滅亡を招いたことを挙げ、周辺諸国に対する戦争責任を果たし、異なる価値観を受け入れることが日韓の公平・対等な国際関係を形成すると訴えている。
中盤は関屋さんに、テレビ・ラジオ局に勤務し、現在は障碍者団体の役員を務める高橋宣光さん、元練馬区議の高田千枝子さん、甲山事件の冤罪者、山田悦子さんを交えた座談会。社会運動のあり方や、日本が侵略史観を手放せず、戦争責任に向き合わないこと、マスコミの役割、被爆者への偏見や朝鮮半島出身の被爆者の切り捨て、日本の人権意識の低さなどが話題にのぼった。
4章は高橋さんによる、元予備仕官学生の島一雄さんや、中国大陸に渡った鬼島龍一さん、憲兵として戦後責任を問われた西岡弘さん、台湾国籍の元日本兵への、それぞれの戦中・戦後についてのインタビューなどが載せられている。
最終章では関屋さんが、戦中の不法行為について責任を負わない「無答責」を批判する。「従軍慰安婦」、「強制連行」、朝鮮人被爆者など尊厳の侵害に対し、法的責任を認めた「賠償」ではなく、経済援助という性格の「補償」にこだわること、1965年締結の日韓基本条約が大韓帝国の政治・経済・軍事的支配を強化した協定、条約の法的な責任を認めていないことを代表的な例として挙げる。
そして、「無答責」に対する「答責」――植民地支配や抑圧、虐殺に対する調査・賠償を進め、日本による加害を学校教育の中で伝えていく実践が、日本国と国民の重要な課題であると締めくくっている。
本著のさまざまな書き手、語り手から、戦争責任に十分向き合えていないことに加えて、権力に無批判で人権意識が低い国民の姿がありありと示されているが、それらの「遺言」を託された私たち読者は、どうするべきか。
そのヒントとなるのは資料編である。日本国憲法や、その精神について記した「あたらしい憲法のはなし」に加え、大日本帝國憲法など法律に関する資料、日本や戦争の歴史が掲載されている。
戦中・戦後を生きた人たちからメッセージを受け取り、それを憲法や歴史に関連付け、実践につなげる。そんなバトンを受け取る一冊である。